2015年5月31日日曜日

思考の現実への反映 20150527

思考の現実への反映について操作する鍵を、自分のあたまのなかに発見する。どうもあたまのなかに小部屋があるらしく、その部屋のなかに納めてある様々な物品を整理整頓したり引っぱり出したりすることで、自分の思考世界を描く観念の体系が変わり、それに照応して現実世界の事物の体系も変化するということらしい。小部屋のなかには暗くて薄い布で覆いをした大きな本棚がある。なんとなく「虚無」を感じさせる。出しっ放しで散らかる本のなかから手触りを頼りに「怖れ」や「不安」を感じさせるものを選り分けて、「虚無」へと収納する。すると、目の前の景色が変わって、記憶のなかの光景、国分寺の、団地を抜けて開ける国道の立体道路脇、複雑に交差する陸橋の入り口の、昼間の日差しのなかにいる。あのとき目の前にいた女性とは変わって、なぜかなぁちゃん(乃木坂46西野七瀬)と向かい合っている。この風景のなかのなぁちゃんはアイドルではないらしい。と思うと、意識の集中が切れて小部屋の暗がりに引き戻される。うっすら覆われる「虚無」の覆いを引き開く。すると作業するに十分な空間の広がりを感じ出し、90年代中頃の京都鴨川の河岸に意識が飛ぶ。なぁちゃんと散歩している。やはりここでもなぁちゃんはアイドルではないらしい。いまは観念の納め方のせいでぼくは彼女をアイドルとして遠くに見ているわけだけど、観念の納め方が変われば彼女の固有性は別の属性をまとってぼくの世界に現れる。そういうことかと気づく。でもそうなると、そもそも彼女をアイドルと見ずに普通に接することができているそんな観念の納め方をしている誰か他の人はいろいろいそうなことになる。ま、いろいろいるんだろうなと思いいたる。そう思うと、小部屋から意識が遠のき出す。

場面が変わって、お寺の境内に庵を結んで生活しようと思い立って物件を案内してもらっている。なぜか綾野剛が案内をしてくれて、意想外に熱く強い調子で勧めてくる。20畳と広い日本家屋の平屋で、四方がガラス障子で仕切られているだけという建物が気にいる。本棚をどのように設置しようか考えてるうちに、これはある程度の収入の道を見つけておかないとまちがうなと思う。ふと自分の格好を見て、「こんなシャツではまちがうな」と思う。スーツを買おうとなぜか新京極に向かう。通りの建物の2階から昔の職場の若い女性上司が「やっぱりそこはアルマーニじゃね?」と声をかけてくる。そうなると一揃い全部新調で、このシャツとはお別れだなと思う。新京極にいては埒があかないので裏の辻を抜けて移動することにする。なぜか斉藤優里(乃木坂46)が同行している。這わないと進めないような抜け道というより抜け穴に差し掛かる。なにをまちがえたのか、ゆったん(斉藤優里)がエビのように身体を曲げて無理に穴を抜けようとして、そのせいで身体がぴったり穴に挟まり身動きが取れなくなる。そんなゆったんを後ろから引っぱり出して介抱しているうちに目が覚める。

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